今のあなたに、50代からの後半生の設計図はありますか?
もしかして、50代になって、後半生に漠然とした不安を感じているのではありませんか?
子供時代から、良い学校を出て、良い会社に勤めて、できるだけ早く昇進して、給料を少しでもたくさんもらって、
そして定年になって退職金をもらって、そのあとは、継続雇用で働き続けて、最後は年金で生活して老いていく。
それが、幸せな生き方だと、親や、学校教育の中で、刷り込まれてきたと言えるのかもしれません。
だから、それは当たり前の人生設計だと、特にサラリーマンの方は、そう思い込んできたのではありませんか?
実際に50代になって定年が見えてきた今、役職定年、給料がど〜んと下がる、そして定年後の継続雇用
こんなはずではなかったと思ってはいませんか?
それは、多くのサラリーマンは、刷り込まれた設計図しかなく、自分で設計図を書いたこともないからなのではないでしょうか。
多少、設計図を修正することはあったかもしれないけど、
50代になるまで、設計図の存在すら忘れていたんじゃないの、と・・・
そして、自分の人生設計図には、途中で捨てられることが想定されていない、あるいは、途中でなくても退職したあとのことは、想定と大きく違っていた。
会社の中では、言われたことをやってきただけで、急に他人が運転している車から下ろされて、さよなら、って言われるようなものではないでしょうか。
結果、行き詰まってしまう。
で、やっとこれからの自分の人生をどうしたいのかという問いに気づく、ということになりがちなのではないでしょうか?
サラリーマンの人生は、会社の中で言われたことをやるだけで、最後は、使い古されて海に浮かんでいるビニール袋のゴミのようになっていると感じているかもしれません。
でも、ここで私が気づいたことは、そんな今まで体験してきた中にも、1つや2つうれしかったこと、楽しかったこと、やりがいに感じたことがあったのではないでしょうか
もし、それがあるのなら、その体験は、人生にとってかけがえのないものだと、私は思うんです。
サラリーマンの時は、FIREして働かずに暮らしたい、とか思いました。
でも、人生は限られていますよね。
何もせずに生きていくなんてのは、人生が勿体無いと思いませんか?
だったら、自分の限られた人生の中で、
少しでもそんな
体験を増やしていくことこそが、人生を充実させる
ということになるのではないかと思うんです。
体験を増やすには、毎日同じことをしていても体験は増えないですよね。
だったら、自分の人生は、体験するゲームと考えてはどうでしょうか?
目標をクリアしたその先には、次のステージがあって、そこでまた新たな目標に向かって努力して、実現する方法を探して、そうして新たな体験を積み重ねていく。
でも、ゲームには、HPの持ち点、EXの持ち点、そんな制限や制約がないと、楽しくないですよね。
ありがたいことに、人にはそれぞれ得意不得意、そして、生まれ持った制限があるはずです。完璧な人間なんていません。
ゲームは、そんな制限があるからこそ、ひとつひとつのステージをクリアしていくことが楽しくなるのではないでしょうか?
しかし、
もう歳だから自分には無理と思うこともあるかもしれません。
でも、私は自分がやりたいこと、達成したいことが、他の誰かができたなら、少なくとも、自分と同い年以上の年齢の方であれば、自分にもできると思うようにしています。
もちろん、自分とその人の制限(得意不得意、好き嫌い)は同じではないので、その人の真似をしたとしても、同じ方法でその人のようになれることはないとおもいます。
だからこそ、あんな人みたいになりたい、こんなことを実現したい、あそこにいきたい、そんな目標たちをどう実現していくか、
頑張って一所懸命に考えて、実行していくこと、その過程こそが、人生を充実させる生き方なのかもしれません。
単に、目標を達成するための設計図を作るだけでは、目標を達成したあとは、設計図がなくなります。
だから、私の設計図は、できるだけ多くの体験をする、それが、私の後半生、人生全体の設計図なんです。
もし、あなたが、まだ刷り込まれた設計図しか持っていないのだとしたら、
他人の車に乗ってきたような人生から、自分で車を運転できるようになって、
あなたの後半生の設計図を、ぜひ描いてみてください。